幻の夕日を飲む



暮れる夕日がつかの間放つ赤を写し取ったような、深い色合いの器。茶や酒を注げば、絶妙な反射を集めて黄金色に光りゆらめく。80年間途絶えたままになっていた星野焼を、今によみがえらせた山本源太さん。

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芯に光沢を含みながら、それをしっとりと包み込むような深い赤銅色の茶器。一服の星野茶が注がれると、器は金の光に満たされ、言葉に尽くしがたい景色が現れる。かつて江戸時代、星野焼は久留米藩の御用窯として営まれていた。八女茶の産地という土地柄、茶葉を保存するための茶壺や茶道具が作られていたが、明治中期に当時最後の陶工が廃業して以来途絶えてしまい、長い年月が過ぎていた。昭和44年にこの焼き物を再興したのが山本源太さんだ。源太さんは、鳥取県船岡町(現・八頭町)の出身。星野焼との出会いは、陶芸を志して窯元で修行をしていた小石原村でのことである。現地にあった工芸館の正面に、夫婦のようにふたつ並んでいた大きな茶壺が、星野焼だった。その陶器が持つ、九州らしい力強い骨格の太さと、優美でやさしい曲線を描くふくらみ。伝わってくるものがあった。将来こういう焼き物をやりたいと心に決めた。星野焼が途絶えてから80年もの長い歳月が過ぎており、当時の作陶の様子を直接知る人はすでになく、聞き伝えの話が伝説のように残っているだけであったが、現存する星野焼と、星野の土地そのものに情報はたくさん詰まっていた。八女から星野村まで上がってくる道はたいへんな坂道で、馬で登るのも困難とされていた。車がなかった当時、他所から土やうわぐすり(釉薬)が入ってきたことは考えられず、村内で土を探すところからはじめた。山肌が崩れたところに粘土を見つけ、石や木の根が混じるそれを精製して使ってみたが、ろくろに乗せても思うように動かない。収縮率も高く、整形したものを焼けば3割(一般的な陶土の収縮率は1.5〜2割)も縮んでしまう。試作を繰り返す中、自分にしか出来ないものを作りたいとか、デザインしたいという思いはちゃちなものに感じられた。江戸時代に、この陶芸を作ることが出来た当時の人々の知恵に圧倒された。ここの土でおのずと生まれてくる形こそが、星野焼。そこが足がかりとなった。釉薬も、ここでしかできないものがある。目の前の川で流れる水も、その土地に関心がないとただの流れでしかないものが、星野焼の工程を支えてくれている。土地というものの生命力、どこから何を得て今、自分がいるかに気づくことで、ずいぶん違うなという実感が伴ってくる。この冬、めずらしく大雪が降り積んだ日があった。「隣組の新年会があって、皆を送り出して外にでてみたら、一面の雪景色の上にかかる満月。枝に積もった雪に、月明かりがぼんぼりみたいに映えて。他の人にはどう映ったか知らないけど、ぼくにとっては奇跡的に美しい風景に見えたよ」と源太さん。土と自然と呼応しながら、今日も星野村での日々がある。

 

TEXT & PHOTO by RIKA TANAKA

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