電気のない2年間のランプ生活が、今の自分たちの生き方を形づくっている



標高1,000メートルの山を開拓し、小さな牧場を築き上げた小林俊夫さん。酪農、チーズづくり、宿泊施設と、少しずつ形を変え、できることを増やしながら、家族とともにこの地で生きてきた。どんな時代がきても、自分の力で生きるために大切なものを守り抜く。そこには実践によって裏付けされた、ゆるぎない哲学がある。
手をパンパンと叩くと、「メエー」という鳴き声とともに、白いヤギがあちこちから顔を見せる。村の中心部から車を走らせること20分。標高1,000メートルの地で、小林俊夫さんは小さな牧場とチーズ工房「アルプ・カーゼ」、宿泊施設「延齢草」を家族とともに営む。数頭の牛とヤギ、ニワトリを飼い、米と野菜も自分たちでつくっている。湧き水が流れ、田んぼがあり、周りに人家のない、美しく静かな土地。ここに住みたいという一心で、生き抜くために知恵を絞り、この地でできることを実践してきた。「土地の風土を徹底的に知り、味方にする。無理矢理ねじ伏せるのではなく、ここに一番合ったことをするのが大切なんです」牧草地を整え、ヤギと牛の乳を搾り、チーズに加工して、工房で販売する。

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ビジネスモデルがあったわけではなく、すべては自然の流れ。周りの人からは、「よそから乳を買って、もっとたくさんチーズをつくるべきだ」と言われたこともあった。しかし、身の丈の範囲を越えることなく、小さな家族経営の形を頑に守ってきた。「大切なのは、足るを知ること」という俊夫さん。何頭を飼うかではなく、何頭で生きるか。それが自然とともに生きる、ということなのだ。中学卒業と同時に村を出て、会社勤めをしたが、25才の頃に妻の静子さんとともに帰郷。70年代の高度成長の時代にあって、父から譲り受けた一町歩の山を開拓し、酪農を始めた。木を伐採し、牧草地にするだけで精一杯の過酷という日々。しばらくは自ら建てた3坪の小屋で電気も水道もない生活を送った。「電気のない2年間のランプ生活が、今の自分たちの生き方を形づくっている」と静子さん。「意志があれば何だってできる。〝野に立つ〞というのは、そういうこと」と俊夫さんは続ける。その言葉には、骨太な二人の生き様が現れている。

チーズ工房の経営も軌道に乗り始めた95年、俊夫さんの心を大きく揺さぶる出来事が起こる。母校である中学校の取り壊しが決まったというのだ。敗戦直後、子どもたちによりよい教育をしようと村人が苦心して建てた木造校舎。行政で残せないなら、どうにか自力で残したい。俊夫さんには使命感のような思いが沸き上がってきた。「自力で残すと決断してからは、家を一軒建てるくらいの借金をして、本当に苦労しました。いろんな人に助けてもらったおかげで、今があります」思いを同じくする村人たちの協力を得て、全体の4割を移築。学校の歴史を多くの人に知ってもらおうと、97年に宿泊施設として再生した。新鮮な野菜に搾りたての乳、自家製チーズ、地卵など、山の幸を生かしたもてなしは長女の野花さんが担当。唯一無二の味わいにリピーターも多い。誰かが何かいいことを始めると、多くの人が賛同して力になってくれる。

 

TEXT : ATSUMI NAKAZATO  PHOTO : KENTA SASAKI

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