大鹿歌舞伎



大鹿歌舞伎は、その隔絶された立地ゆえに他の影響を受けることが少なく、基本的な動作は昔のままの姿を忠実に守り通してきた。演じる役者はみな村人で、普段は農業を営む人や役場職員など職業はさまざま。隣近所のおじさんがこの日ばかりは厚塗りの化粧を施し、舞台で堂々と立ち振る舞う。そんな非日常が大鹿村では生活の一部になっている。

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幕末から明治にかけて、村内には神社やお堂の境内13カ所に芝居専用の舞台があった。現存しているのは7つ。どれも本格的な造りで、回り舞台はもちろん、花道もあり、二層になった太夫の席もある。村人たちは食を切り詰めてまで、歌舞伎のための舞台を建立してきたという。これらの舞台には、村人の歌舞伎にかけた並々ならぬエネルギーが受け継がれている。江戸から明治にかけては、「農民は贅沢をすることなかれ」と幾度も禁じられながらも、村人たちは執念で上演を続けてきたそうだ。そんな苦難を乗り越え、いつしか歌舞伎は村人を結ぶ絆となっていく。舞台となれば、義太夫、下座、役者だけでなく、裏方、大工方、衣装、化粧方といった関わるすべての人々が一体となってのぞむ。そうした村人たちの結びつきの強さに、見る者は心を奪われるのだ。

 

「ろくべん」は1人用の弁当「どくべん」の意味で、この地方でなまって定着した。主に、大鹿歌舞伎見物などハレの日に使ったという。幕間にろくべんを開き、近隣の人々とおかずを交換して親睦を深めた。

 

TEXT : ATSUMI NAKAZATO  PHOTO : KENTA SASAKI

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