旅舎 右馬允



「右馬允(うまのじょう)」とは、馬に関するとりまとめの役割を担っていた、江戸時代にかけての由緒ある役職名のこと。前島家は村の名主だったことから、当主は代々これをミドルネームとして、名乗っていたという。38代当主の前島正介さんは、自分の生家を守るため、周囲の反対を押し切り、33才で旅館を始めた。今では一度都会に出た3人の子どもたちも村に戻り、旅館に新しい風を吹き込んでいる。

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急勾配の道を登っていくと、格式高い大きな家屋敷が見える。村の中心部を見下ろす山の中腹にある「旅舎 右馬允」。1日に2組しか予約を取らないことから、幻の宿と呼ばれている。前島正介さんは、生まれ育った村で暮らすため、戦前まで造り酒屋をしていたという先祖代々の家を使って、旅館を始めた。「旅館をやろうと思ったのは、この村に暮らし、歴史ある家屋敷を守るため。家族や親戚には、山奥で旅館をやっても食べていけるわけがないと反対されましたけどね」大学進学を機に上京するも、次第に村の生活への思いが募る。

旅館が軌道に乗るまでは、測量の仕事を掛け持ちしながら生計を立てた。「翌日に予約がある時は、山で測量の仕事をしながら、春は山菜を摘み、秋はキノコを探したり。測量しながら食材集めもできて、一石二鳥でしたね」料理は正介さんが一人で行っていたが、ソムリエ、料理人としてそれぞれ都内のフランス料理店で腕を磨いた、長男と次男が数年前に帰郷。今では、3人で力を合わせて調理場を切り盛りする。またニューヨークでダンスの勉強をしていた長女の久美さんも8年前に戻り、ヨガの講師をしながら、旅館でサービスを担当する。

久美さんは、代々受け継がれてきたこの場所を拠点として、大鹿村の今を広く伝えようと、村のこれからを考え、行動する「大鹿の100年先を育む会」を10年に立ち上げた。この村で育まれた風土や歴史、文化を尊重して、100年先もこの風景を残していきたい。会の名称にはそんな思いが込められている。「これからの村のことついて同世代の人たちと話してみると、トンネルが村内を貫通するリニア新幹線の問題など、何かしら不安を抱えている人が多かった。ならば、自分たちで村を守るために、動いてみようと思ったんです。リニアだけを問題視するのではなく、もっと広い視野で、自分たちがこの村でどんなふうに生活していきたいのかをじっくり考えていく。そのための活動をめざしています」

 

TEXT : ATSUMI NAKAZATO  PHOTO : KENTA SASAKI

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