世の中に流されず、血の通った言葉を、これからも。
曽我逸郎さん、良枝さん
移住して2年半後、たまたま村長選で初当選。現在3期目を務め、2017年5月に長い任期を終える。12年間の村長生活に一つの区切りをつけ、逸郎さんは家族との新たな暮らしを始めようとしている。
自分は何をしたらいいんだろう。見えないものを追い求めた学生時代。電通に入社するも、ずっとサラリーマンをやるつもりは毛頭なく、40代後半になった頃、学生時代から続けてきた仏教の勉強に本腰を入れようと、移住先を探し始めた。長野県を中心に全国をまわったが、中川村を訪れた時、これまで行ったどの場所とも違う感覚を覚えたという。
「草刈りがきちんとされていて、道端に花が植えられていて、手入れが行き届いた美しい村だなあと。それだけでなく、家族でキャンプをしていたら、地元の人が水やトイレの心配をしてくれたり、そのうち、お祭りの時に声を掛けていただくようになって。すごくよくしてくださったんです」
最初は冗談半分だったが、中川村に通ううち、「ここだったら」という思いに変わっていった。家族が先に住み始め、週末だけ村に通うという生活を4年間続けた後、2002年11月に退社。晴れて移住を果たした。
米や野菜を作ったり、地区の行事に参加しながら、仏教の学びを深める。そんな日々が長く続くはず、だったが、周辺市町村との合併問題で自立賛成派をサポートしたことから、その波頭に押し出され、2005年4月、村長選で初当選。移住して2年半後、思いがけず村長となった。こんなところに、よそ者を拒まない村の人の気風が見えてくる。
世の中に流されず、言いにくいことを思い切って口にする。逸郎さんはそんな信念を持って、TPP反対や脱原発など血の通った言葉を村のホームページなどで次々と発信。中川村の風通しのよい空気をつくってきた。
そんな逸郎さんを見て、家族もこの村だからできることに果敢に挑戦。長男の暢有さんは耕作放棄地を利用して、無農薬でぶどうを栽培。そのぶどうでオーガニックワインを製造し、販売しようと計画中だ。そして妻の良枝さんは、田んぼや畑仕事にあくせくしながらも、暢有さんを手伝い、縁の下の力持ちで家族を支えている。「農業というのは工夫の余地が大きい仕事だからおもしろい。カミさんも田んぼや畑を一生懸命やってますよ。私は村長で忙しいし、公務があって、とか言ってほとんどやってないんですけど」と苦笑い。
もののはずみで村長になって12年。2017年5月の任期終了まで残りわずかとなった。「村長の仕事はおもしろかったですよ。ちょっと長かったかもしれんけどね」と笑う。任期終了後は、本来やりたかった仏教の勉強を復活させることが最優先だ。「それが一番だけど、カミさんや息子の手伝いもせんと怒られそうなので、それをやりながらやね」と家族思いの顔も見せる。
「村の将来を考えると、本気で研究を重ねた質の高いものを提供する、持続性のある商いが生まれてほしい。と言いながら、中川村が有名な観光地になったらさみしい気もする。難しいですね(笑)。そんなにガツガツしなくても、少しはゆとりがあって、昔ながらのおもてなしがある。そんな村がいいですね」
頑張りすぎないくらいがちょうどいい。そんな中川村らしさを大事にしながら、逸郎さんと家族の第二章が始まる。